KOTARO

この年になると・・・・こういう言い回しが頭に浮かぶこと、それ自体が確実に年を重ねた証拠である。
昨晩、スタッフの記憶という記録によると1年と362日前の日から、弊社にて「その者」の生涯を左右する立場に「成り行き」でなってしまった。
 烏兎匆匆という言葉が的確なのかどうかわからないが、原因は定かでないにしろ、概ねそうだろうという・・・その者の命は最後まで、「何者」かに左右されてしまった。

悲しいだとか苦しいだとかという感情が、正直こみ上げてこないのは・・・こみ上げてこないといえば正直ではないにせよ、粛々と、まるで儀礼的に命の戻るべくところの水先案内を立ち振る舞っている。

「幼心の自身へ」

「壮年期の自身へ」

決して途切れることなく、精一杯自分自身で在り続けたいと信じ願い生きてきたはずなのに・・・今のこの虚空を掴む感覚は誰のための感覚なのだろう。

今だけは、すごした時間の弔う側となってしまった者として、静かに時を過ごしてあげたい。

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一切皆苦

卯月は・・・、去年の今頃はこんなだったかと手を止めてみる。

対前年比・・・といってしまえば、間違いなく減収状態ではあるものの、対労働比は確実に濃密さが増す状態からは改善せず、もはや昇華しつつあるスキル云々とは関係のない・・・自身の精神世界の問題なのだろう。

私生活ではというと、3LDKマンションを購入し、浮世世界の「ワンルーム化」という、2ヶ月近くにわたるリフォームがほぼ完了しつつはあるものの、まだまだ完全な住居としての用を完遂していないという、「住所不定」な根無し草生活が続いている。

グループの各事業においては、急転直下の組織の陳腐化を防ぎ止めることが出来なかったと言う経営責任を問われてもおかしくない状況を作り出し、その打開策も実行に移せてないという・・・まさに目前の物事に過度に対峙した失策を繰り返し続けている。

敢えて争うべくして争い続けることの本質的な意味を、如何にして伝えようかと語りつくせば語りつくすほど・・・、自身の導かれし初心そして現実の老い・・・だからこそ託したいニュージェネレーション達へと必ず繋がるであろうこの現世と・・・、すべては今の自分自身のため以上の・・・・
しかしながらそれらの大半は、自身の欲の成れの果て・・・つまり偽善として彼らの中に吸収され・・・、全方位的虚脱感によって、今までに足を踏み入れたことのない未開の地へと誘われつつあるような自虐的な感覚が繰り返しすぎていく。

仮に世の中の物事がすべて「苦」によって生成され形成されているのなら、むしろ喜んでその言葉の意味するところへ誘って欲しい・・・そんな無意味な気概を自身に望む。

しかししかし、そんな日々の中でさえ、愛するものたちは必ず存在し続けるもので・・・それらと自身が生かされ続ける限り、仮に世界中が一切皆苦の世の中だとわかっていても、精一杯傷つきながら身を投じ続けることができる気がする

生きとし生けるものたちの賛歌として・・・。

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近況はと言うと、この言葉の響きが凡そ変化が無い事と同意語のような・・・そんな毎日を過ごしている。

それでは変化の同意語とは・・・、やがて招き入れる自身と不可分の未来のことなのだろうか?

とりあえずここまで11年目・・・、今のポジションに満足はしていないものの、生き長らえ生かされてきたという自負そのものが、その進化しなければと追い立てる規定路線の自分自身を拒絶させる。

いつもの通り沿いは気がつけば葉桜も旺盛で、繰り返されるいつの時代とも同じ時間が繰り返されようとしている。

過去は歴史となり、未来もいずれ歴史となる。

明日見る夢は、いつか振り返る過去の時間にいくつ記録されているのだろう。

そんな雑多な思いが頭をめぐり、取り繕うことすら不可能な自身の心がとても穏やかな時を与えてくれる。

ずいぶん前に気がついた「森羅万象」という言葉の意味に・・・。

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何時か来た道・・・・

弥生との暦の知らせとは程遠い、放りだした自身の足の橋の上で横たわる白柴の体温が、まだまだ春らしさを実感させてくれません。

さて、自身の近況をお知らせいたします。

グループ内は、実績とは裏腹の「破壊」の日々を繰り返しております。意図している部分、そうではない・・・傷を負う的な部分も含めて、今回は、さすがの自身の耐性菌をもってしても・・・かなり精神衛生学上の「手負いの・・・・」に近い精神状態に陥っております。

動かない事を以ってして得る物事と、動く事を以ってして得た物事との・・・大局の論にはなってしまうのでしょうが、前者か後者か・・・・、結局後者を選択してしまうのです。正解不正解を論じれば終わりのない不毛な議論に終始してしまうことになるのでしょうが、敢えてその答えを導く方程式として不適切な表現かもしれませんが、「好き」なのだろうと言う感覚を記しておきます。
つまり、最終的には同じ結果を得るであろう・・・本来はそう思っていないのだが、仮にそうならば「好き」なことの中で生き死にを実感できれば、ものすごく辛い事や悲しみそして苦しみを得れる分、さらに何倍もの結論にいたりはしないか・・・・もはや大戦末期の玉砕戦法にも似た精神状態・・・・病的であるということです。

これが近況かと思われがちな新年度前の某日・・・。動き続けます!勝つ?までは!

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過日の友人

おおよそ1週間前のこの時間を、懐かしんでみた。

 私事ではあるが、ある特定の時代軸を境に、自身への呼びかけ「俗称」ががらりと変わる。
その頃のことを「ある俗称」で呼ぶ仲間たちとの話である。
 当然、そんな「時代軸」以前の遍歴の真っ只中であるから・・・、無心で色々な馬鹿げた戯言に真剣に向き合っていた頃を懐かしみつつ、義務教育という名の「万人が平等である」ということを、唯一生きてきた中で実感し、その恩恵を享受出来ていた頃である。
 そんな仲間たちとの15.6年間というかなりの時差を修正する為か、もしかすると、現在のおのおのの生活とその頃とのギャップを埋めるためのものなのか・・・・、無理やりの「テンション」と、止めてはいけない「会話」の勢いだけでその当時の「だらだら」と過ごした時へと時間を巻き戻そうとお互いを捲くし立てる・・・・。そんな空気感だけは、仲間全員で無意識に共有できていることの様である。
哀しい位にお互いに記憶は一時停止され続けたテープのように、そして、断片的な記録の張り合わせなのだから、繰り返し繰り返しその記録をまた繰り返すばかりである。
まぁ平たく言えば、人生最初の落第点を唯一の勲章と勘違いしたばか者たちである。まぁ、そんな馬鹿者どもの馬鹿話は尽きることもなく、やけに腹持ち蓄えた「おっさん」がつらつらと他人の記録の詳細を語りだしたり、糖尿だ景気だとアホめいた大人らしい会話も入り乱れ、紫煙にかすんだテーブルは尽きることのない大声で時間ばかりが過ぎて行く。

そんな我々の今日の花形はというと・・・・、話のネタは2階で静かに眠っている。傍らには、無駄に生真面目に自分に与えられた役割を全力で全うしようとする元悪友が・・・、繰り返し繰り返し、われらのの記憶の断片に一縷のすきもないようにと、薄明かりの階上でただ一人で復習し続けている。

彼は、もう二度と話題の中心にはいてもその会話には参加することの出来ない・・・それは穏やかな表情で、聞いているのかどうなのか・・・本当に穏やかな表情のままである。

自身の現在の年齢と、その当時の仲間たちの正確な容姿を思い出すのにずいぶんと苦労する・・・そんな時間が我々の過ごした39年間と重なり合い、今はただ心底漠然とした心境で過ごさざる終えない。

いつか振り向きざまに思い出す・・・、「あいつ居たよな」というこの記憶さえ、おぼろげに・・・そして雑踏にまぎれて行く・・・そんな、一過日の友人の記録に成り下がっていく。

それでもなお、生かされ残された我々の存在のその意味は・・・?

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MOVING

程よい冷気が、普段の鼻通りの悪さを忘れさせてくれるほどの澄み切った如月の末日、人生で初めての自力単独での「引越し」である。
この年になって、まだ初めての事を告白するこの状況が少し恥ずかしく感じるのは、何に起因するものなのだろうか。
物音に階下ををベランダより見下ろすと、この場所独特の「無人地帯」よろしく、ひとつの空き缶が往来のない道路を延々と右往左往を繰り返している。
そういえば、ほほに感じる風がしっかりとしている気がする。
玄関近くまで伸びてきそうな日差しの明るさも、開け放った窓から精一杯拭く込んでくるこの風の肌感も、3年近くの時間と一緒にこの場所に置き去りにして行こうと思う。

そういえば、もうすぐ春になるんだ・・・・。

深い意味もなく、ただ何と無くセンチメンタルな如月の某日。

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何となく、月末風の気分

悩ましい予感のする、2012年最初の月も気がつけば終わりかけ、、、という、いつぞや過去に感じたことのある感覚である。
各社が、大凡自身が現れなくともそこそこ機能し、、、問題は、「そこそこ」しかさせれてないことである。

その問題は明確なのだが、それを解く能力が無い、、、これらはもはや自身の中で繰り広げられるスランプと自身へ対する不信や疑念が繰り返されるばかりの無能自慢以外の何物でもない。

こんな日々を過ごす自身でも、まだ生かされる価値はあるのだろうかと2012年も終わりかけたかのような薄曇りの月末を過ごす。

言葉少なの1月の某日、、、

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無音

例年になく穏やかに感じるのは、自身の成長の鈍化と感じるべきか、成熟の域に達したと喜ぶべきか・・・結論を節足に求めるこの癖は、まだまだ自分自身が未完成のものそのものなのであろう。

たった今、視線の先には零時を回るデジタル時計の表示が、無機質にそのことを認識させてくれる。

振り返るとやはり、走りすぎていった1年であったのだろう・・・記憶の断片には凡そ多くのものが存在しないのに気づかされる。

破壊すべきを破壊してきたことは、自身の信念に委ねられた判断だったのか、自身で作り出した正義感という虚像なのか・・・すべての細かな事象の結論が今日というこの空間に存在する自分自身の存在する為のぎりぎりの哲学の源なのだろう。

敢えて自身の中でそれらの多くの物事を哲学的であることにすることの意味は、すぐに結論づけられる結果の最良で最短の方法なのであろう。

無音の時間に、静かに向かいそして迎えた2012年・・・・

また、走り抜けてまいりましょう。

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LAST RUN

師走も押し迫り、やっと心もどことなくソワソワした感覚に流されつつあります。

振り返るのには、まだ終わりの見えない本日夜半ではあるが、生きとし生けるものの宿命は相も変わらず背負わせられながらも…..見えない挫折と対峙しながらも、結局、素晴らしい時間として過ぎ去りし残りわずかの余韻を楽しめている。

天性の不感症ぶりで、もう数日楽しんでまいりましょう。

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Merry Xmas

数年来の贖罪の時間を過ごすべく、例年通りの人格形成の主たる要因の元となる某所へとケーキの配達に早朝より早起きを敢行する。

何も変わらない・・・恐らく変わることは不可能なのではないかと感じてしまうほどセオリー通りの一昨晩からの時間を過ごす・・・。

午前3時過ぎのサロンを、四方や想像もしなかった・・・いや、粗方の想像通りなのかもしれない、ぶつかるべくしてぶつかった諸問題の議論に没頭し、帰宅のマンションの異常なほどに澄み切った静の空間にヒーターを入れ、普段より早めの寝起きの為の若干のアルコールと共に、普段感じない寝つきの悪さを繰り返し、静の闇に鬱積する何かを抱えた自身の意識もろとも恐らく静かに融けていった。

8時前の・・・普段は決して知ることない朝を克服すべく、少し長めのシャワーの音に全身を傾ける。

気が付けばぜっ不調の・・・自動車のステアリングを悴んだその手で握り締めた先は、時折まばらに落ちてくる白銀の子供がフロントガラスにぶつかっては消えていく・・・無意味に静かな車内を過ごす。

ほぼ通年と変わらないこの25日の生活パターンは、自身にいったい何を齎してくれているのか・・・。

決して清廉潔白ではない・・・恐らく多くの犠牲を強いた自身の贖罪の為の時間なのか、それとも、この贈り物を受け取る子供たちがいるこの場所に、自分自身も再び戻ることが出来るのだろうか自問する為なのか、複雑な思いに見送られ、その場を離れるしばしの間、自身の意識を占有した。

行きよりもさらに降りしきる白銀の子供たちは、そんな占有された複雑な大人の感覚を察するかのように、うす曇の空からさす薄日のように晴れ晴れとした感覚を与えてくれた。

いつまで続くのだろうこの普遍的な朝の時間は。

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