過日の友人

おおよそ1週間前のこの時間を、懐かしんでみた。

 私事ではあるが、ある特定の時代軸を境に、自身への呼びかけ「俗称」ががらりと変わる。
その頃のことを「ある俗称」で呼ぶ仲間たちとの話である。
 当然、そんな「時代軸」以前の遍歴の真っ只中であるから・・・、無心で色々な馬鹿げた戯言に真剣に向き合っていた頃を懐かしみつつ、義務教育という名の「万人が平等である」ということを、唯一生きてきた中で実感し、その恩恵を享受出来ていた頃である。
 そんな仲間たちとの15.6年間というかなりの時差を修正する為か、もしかすると、現在のおのおのの生活とその頃とのギャップを埋めるためのものなのか・・・・、無理やりの「テンション」と、止めてはいけない「会話」の勢いだけでその当時の「だらだら」と過ごした時へと時間を巻き戻そうとお互いを捲くし立てる・・・・。そんな空気感だけは、仲間全員で無意識に共有できていることの様である。
哀しい位にお互いに記憶は一時停止され続けたテープのように、そして、断片的な記録の張り合わせなのだから、繰り返し繰り返しその記録をまた繰り返すばかりである。
まぁ平たく言えば、人生最初の落第点を唯一の勲章と勘違いしたばか者たちである。まぁ、そんな馬鹿者どもの馬鹿話は尽きることもなく、やけに腹持ち蓄えた「おっさん」がつらつらと他人の記録の詳細を語りだしたり、糖尿だ景気だとアホめいた大人らしい会話も入り乱れ、紫煙にかすんだテーブルは尽きることのない大声で時間ばかりが過ぎて行く。

そんな我々の今日の花形はというと・・・・、話のネタは2階で静かに眠っている。傍らには、無駄に生真面目に自分に与えられた役割を全力で全うしようとする元悪友が・・・、繰り返し繰り返し、われらのの記憶の断片に一縷のすきもないようにと、薄明かりの階上でただ一人で復習し続けている。

彼は、もう二度と話題の中心にはいてもその会話には参加することの出来ない・・・それは穏やかな表情で、聞いているのかどうなのか・・・本当に穏やかな表情のままである。

自身の現在の年齢と、その当時の仲間たちの正確な容姿を思い出すのにずいぶんと苦労する・・・そんな時間が我々の過ごした39年間と重なり合い、今はただ心底漠然とした心境で過ごさざる終えない。

いつか振り向きざまに思い出す・・・、「あいつ居たよな」というこの記憶さえ、おぼろげに・・・そして雑踏にまぎれて行く・・・そんな、一過日の友人の記録に成り下がっていく。

それでもなお、生かされ残された我々の存在のその意味は・・・?

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