KOTARO

この年になると・・・・こういう言い回しが頭に浮かぶこと、それ自体が確実に年を重ねた証拠である。
昨晩、スタッフの記憶という記録によると1年と362日前の日から、弊社にて「その者」の生涯を左右する立場に「成り行き」でなってしまった。
 烏兎匆匆という言葉が的確なのかどうかわからないが、原因は定かでないにしろ、概ねそうだろうという・・・その者の命は最後まで、「何者」かに左右されてしまった。

悲しいだとか苦しいだとかという感情が、正直こみ上げてこないのは・・・こみ上げてこないといえば正直ではないにせよ、粛々と、まるで儀礼的に命の戻るべくところの水先案内を立ち振る舞っている。

「幼心の自身へ」

「壮年期の自身へ」

決して途切れることなく、精一杯自分自身で在り続けたいと信じ願い生きてきたはずなのに・・・今のこの虚空を掴む感覚は誰のための感覚なのだろう。

今だけは、すごした時間の弔う側となってしまった者として、静かに時を過ごしてあげたい。

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