師走

昨日の汗ばむほどの暖かさの後のこの底冷え感を、どうお伝えすべきなのか・・・

恐らく、定期的な地球という天体のライフサイクルによるものなのだろうと感じている・・・。

そんな昨日は、カフスボタンを外したシャツの袖を2つ折にして捲り上げ、愛するスタッフと共に
夜の帳へと身を委ねに出向いてみた。

普段の行動特性上、ネオンの街を楽しむ習慣がないため、一人で行動する時は「脇目」すら忘れ目的の地まで一心に闊歩するのだが、このような「呑まれ」に出向く時間では、暗躍するなにものかを期待して、往来の人垣や人並みを楽しんでみようと視線を楽に構えてみる。

恐らく10日ぶり以来の紫煙の煙と1ヶ月ぶりの本格的な飲食のお陰で、酔いも程よく思考を撹乱してくれ、お付き合い頂いた可愛いスタッフたちはさぞ迷惑だったことだろうと・・・・まったく慰労にならない時間をつきあわせてしまった・・・。

まだまだ感謝を的確に表現できない・・・師走の師になれない適齢期の自分自身・・・。

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文月の最終日・・・、そして晴天なり

ずいぶんとこの暑さも心地よく、最近のトータルワークアウトのお陰もあってか異常なほど全身の代謝のよさに感謝する日々・・・全身から溢れ出るほどの発汗も、今はとても心地よく感じてくる。

 我々を使っていただけていることへの感謝がなおいっそう全身に響くほど、販売は低調な当月である。

他方、グループの他法人は対前年比大幅増プラス計画クリアーと言う二重のゴールを達している。

自身の不徳と反省する日々は、文月の猛暑の爽やかさとは、中々うまく合間見れないものである。

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中華人民共和国

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秋深さは何処へ

もう11月もやがて半ば・・・もうすぐ12月という本日某日某所、暦的なものは既に冬だというのに、なかなか愛する秋深さを感じ得ていないという不幸・・・。

週末は中国で過ごす為、帰国後のスケジューリングを無理してでも当地奥阿蘇方面にこじつけねばと、頑なに心に誓う・・・。そう、必ず為しえねば・・・。

 さて最近はというと、本決算の最終的な数字と対峙し「一喜一憂」との言葉がまさしく相応しい各事業会社の決算模様である。
 少し触れさせていただくと、当グループには自動車関連の法人が2社、美容関連の法人及び事業部が各1社ずつ、建築関係の法人が1社、そして最後に英国の現地法人の1社である。
 其々に独立した数字を持ち、各事業に其々決算が存在する。今年率130パーセントで伸び続ける花形の美容関連を筆頭に、数ヶ月前のグループの中核であった自動車関連及び英国の法人、そしてその他・・・である。
 事業の柱がうまく共存できているかの精査については、今しばらく時間を要するであろう事が明確な意外は、非常に攻守の入れ替わりの激しいグループである。

 意図した環境も、ここまで・・・・こうなれば、もはや一つの小さな「社会性を併せ持つ世界」であることを肌に感じ、其々と向き合っていくよう心がけている。

本来であれば秋深さは、自身をもっとカルマの奥底へ導いてくれるものなのだが・・・今晩はこの辺で・・・。

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貴方の向こう側に

実を言うと・・・はっきりと記憶に問いただせるほど正確さはないのだが、23年程度我が人生の伴侶として確実に自身の細胞組織を破壊させてきたのであろう喫煙癖を、1年半ほど「控える」様に気にかけて努めている。

「はっきりと云々」「気にかけて努めている」・・・つまり、やめる気など毛頭無いのである。
それではなぜ「控えて」いるのかというと・・・、まぁ、諸般の事情を鑑み・・・ということで・・・。

話は逸れたのだが、最近はというと関連する事業会社の更なる派生を目論むべく、さらにかかわる人格の精査を目的として午前中はほとんどの時間を面接に費やして過ごしている。
これまたなかなか体力勝負のところがあり、一日に一人約3時間弱の言葉の応酬ではあるが、かなり憔悴しきってしまうのが本質的な自身の内向的性質による所である。

そんなわけで前述の我が人生の伴侶の力を借り、この難局をスムーズに打開できればと願っている。

しかし、数日は深夜に及ぶ酒の宴席も続き、煙害への耐性もめっきり弱くなったところへの連日の喫煙で、体調への甚大なる影響は?などと凡そ数年前まで気にも留めなかった「気遣い」に、全身の加齢を意識させっられる。

 そんな自身ではあるが、彼らとの会話の向こう側にいるもう一人の自身との会話は、それでいてなお楽しく、多少不健康なくらいのハードボイルドな自分自身で彼らに接してみたいと思わさせられてしまう。

もう数日・・・・招かれざる自分自身と共に

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West coast of AMAKUSA

数年来の積年の思いに駆られて・・・というと少し大袈裟に聞こえてしまうと思う・・・。

・・・・・ある時自身の記憶の法則について、それが他人とどれくらい違うのだろうと考えたことがある。

 時にはそんなつまらないことを不幸のどん底で受け止める事もあり、時にはまた、どうしようもないほどに澄み切った精神世界の中でそのことを考え立ち止まる瞬間さえもある。
 それらのことが不幸なのか幸福なのか、それらのことによって受ける自身への影響は?そんな庶事を気に留めさせられた記憶が蘇る。
 しかし自身の中の法則云々については、明瞭にその答えを捜し求めるでもなく、結局のところ解決せぬままが心地よいのだという解決に落ち着く・・・。

何れにせよ、そんな大袈裟な想いでこの地を訪れたのではなく、そう・・・決して大袈裟ではなく・・・・ないもののやはり、それなりの意味を持ってステアリングを帰路と反対に切り込ませられたのだと思う。
 結論から言えば、決して其処にも答えがあるわけでもなく・・・其処にもというのはつまり、最近の思考の傾向として、流離い彷徨う自身の精神のよりどころを、追憶の過去の情景に重ねることにより何か漠然と昇華されもしくは塗り重ねられもしくはもっと期待すれば、そのこと自体がとても神々しく美しく美化されることすら期待して費やすこの遠回りな時間なのかもしれない・・・というこれもまた解決に満たない思い・・・。

 それで得た実測感はと申し上げると・・・費やした年齢の分だけ利己的なのだなと・・・そのこと事態に既に苦しみの涙さえ忘れ去ってしまっているのだなと、自虐的に感じてしまう。

 それで、其処に存在するわずかな光明は?と自問してみると、守るべき対象が自分自身であること以上に、自身を取り巻く人や物そのものにダイレクトに変化したことと、若輩の頃に体現し得なかった、「人のために在れること」と「己が成されること」の相反した意味が、一つの言葉として理解できたことぐらいだろうと思う。

満身創痍の日常にひっそりと潜む、美しく心奪われる情緒が、それを懐かしむ自身の心が、まだなお生かされ使われ続けていることへの理由と出来ることが、この瞬間の本当の幸せなのだと思う。

行間にあるという答え探しの果てに・・・。

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秋立つ

 自身の中の先般の予想通り、秋は程なく駆け抜けていくのではないかとの一抹の寂しさを覚えながら過ごす、秋雨の週末である。

 余程人恋しいのか、はたまた季節がそれを思わせるのか・・・独り身の悦び以上にそのように感じてしまう。

 過ぎ去りし時間と、訪れる時間とのバランスにいつも四苦八苦しながらもそれなりに乗り越えてこれたはずなのだが、何某かがぼんやりと自身の精神世界の均衡を崩してくれる・・・。

秋立つ某日・・・隣は何をする人ぞ・・・。

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9月11日

近頃の暑さに、現在の自身の精神状態を足し加えると、少しだけ熱さも穏やかになりつつある時間を楽しめる気がする長月の一日。

取り立てて慌しいでもなく、相変わらずの時間の浪費癖の真っ只中で目の前の雑務に身を委ねる。

 前述の通り、暑さはさほど全盛の様子もなく自身が最も愛する秋が、今年は過去にロールバックしたかのように当たり前にその季節感を感じれそうな予感がする。
 ビジネスのフィールドでは、仮決算の意外な数字に驚くものでもなく・・・つまり結果として対前年比増なのだが、実感に乏しいものであり・・・自身のこのビジネスモデルに対するまさしく「現状把握」の心理状態なのであろうことは想像に難しくない。

公私共に、エアーポケットに突然落っこちたコントロール不能の飛行機ではあるが、まだまだ視界は良好なはずであることを「言い聞かせ・・・」なければならないほどのコントロールを失っているのも事実である。

向き合うべき明日という時間を・・・うすぼんやりとそれらしい夕空に重ね合わせて・・・筋雲がグラデーションと化す雲の群れの隙間から、失ったコントロールをぼんやりと想像する。

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期末

トータルワークアウトという名の下に、定期的な全身錬磨の日々をマゾティックに楽しんでいる。

40歳にもなれば、それなりに老いていく肉体と、必要以上に知恵を得た頭脳が、お互いに納得し合えずに日々ぶつかり合い、最善の回答を求めようとし続ける。

そんな期末の某日も、撲殺されるべき多岐にわたる仕事もなく、珍しく前倒しでの第8期目の数字の吟味を繰り返す。
「全力で」とはもはや隠語に近く、激変するパワーバランスの見極めを各事業間で意識しながら、今はただ集中すべき物事に対峙する。

 忘れてはならない・・・・常に中心を感じ続けることを。

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8年目の夏

葉月の言葉の由来に、例年と違った温度で迎える8年目の夏である。

この温度差の由来は、グループ内での事業形態でも見受けられる各々の成長の数値の差そのものである。

4期目を無事に終える別法人は、126パーセントと大幅な増収増益。また別の法人では111パーセントの増収。しかし本業である自身の足元では・・・・。皆を鼓舞する立場としては、本当に恥ずべき状態である。
 会計規模の違いがあり一概には比較できないものの、当グループ最低の109パーセントの増収増益。2期前の3分の1強の規模である。

 費やした資源と年数からすれば、非常に叱責されるに相応しい結果である。

 数十分という物理的な移動距離の中で繰り返される栄枯盛衰の瞬間瞬間に、悲鳴を上げ始めた肉体の綻びがリンクする。

 それでもなお、費やすことの意味とは・・・・。

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