無音

例年になく穏やかに感じるのは、自身の成長の鈍化と感じるべきか、成熟の域に達したと喜ぶべきか・・・結論を節足に求めるこの癖は、まだまだ自分自身が未完成のものそのものなのであろう。

たった今、視線の先には零時を回るデジタル時計の表示が、無機質にそのことを認識させてくれる。

振り返るとやはり、走りすぎていった1年であったのだろう・・・記憶の断片には凡そ多くのものが存在しないのに気づかされる。

破壊すべきを破壊してきたことは、自身の信念に委ねられた判断だったのか、自身で作り出した正義感という虚像なのか・・・すべての細かな事象の結論が今日というこの空間に存在する自分自身の存在する為のぎりぎりの哲学の源なのだろう。

敢えて自身の中でそれらの多くの物事を哲学的であることにすることの意味は、すぐに結論づけられる結果の最良で最短の方法なのであろう。

無音の時間に、静かに向かいそして迎えた2012年・・・・

また、走り抜けてまいりましょう。

カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントは受け付けていません。