哀悼の意

恐らく、覚悟できても受け入れがたい現実があるならば、それは目の前に存在する真実であろう。

虚像でもなく妄想でもないこの瞬間は、他人からとやかく干渉されることに、無性に感受性高い自分自身が、最前列で心の奥底の感情を悟られまいと葛藤し続ける姿として現れるのであろう。可能な限りの表面的でもいい愛情と、許される範囲での言葉で、其の事実が癒されることが仮にあるとすれば、全身全霊で其の瞬間を恐れず直視したい。偽善や独りよがりであろう事も知った上で・・・・。

ひとつの時間が又幕を下ろし、風化してしまいそうなこの不安でさえも、明日を生きる力にしていかねば・・・・人間であることは難しい・・・。

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6月の気候は?

出社すると、弊社担当者W邉氏立会いの下、既に商材の積込みの為輸送会社が到着していた。

ほんの些細なきっかけで転がり始めたこの石が・・・、自身の胸のうちに燻る事業化への長年の思いが、一瞬にして転がり始めた瞬間を思い出す。この事業化を、分母と分子の関係に例えれば、それはものすごく小さな分子であり相対的な時間の論理で勘定できない部分が大半であるが、分母の大きさが想像以上である部分を考慮すれば、まずは素直に、自身の想像の範囲を逸脱してしまったこの出来事へ対し、正直に喜べる。
最近自身のブログで、ついつい多くを書き連ねてしまうことの多いこのトピックスに、事の重要さを再考することの連続である。
足元を振り返ると、不穏な要素を含むも出来事も日常だが、総合評価は「良」であり、今以上に各部署が独自性と独立性を明確にしていければと思う。社として成長が少しばかり急激過ぎてと感じることも、それも前述の独自性独立性の相乗効果なのだろう。
どこにあっても、どんなに時代錯誤でも、弊社に根付くアナログ回路の部分が、社のスピードと合致した時、驚くべき進化を遂げることを想像できることが、今一番の喜びであり、潜在的可能性なのだろう。
限りのある時間の中で、以後数年後の姿に酔いしれることを想像できることが、今の自身のアクションへと結びついていくのだろう。

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今日だったのか・・・。

出社前の数分間を、何とか何時もやり過ごし一路会社へとハンドルを握る。

新事業部の商材の最終チェックと、少しずつ目の当たりにすべき現実をもそれと一緒に乗せ、スタッフ各々が動き回る。
正午前、保険会社担当者との打ち合わせの後、しばらく会社で過ごし、夕暮れ前に何時もお世話になるM田氏の会社を訪問する。ほぼ同世代だが業界での経験は私の数倍もあり、それでも衰えないそのベタさを少しだけ分けていただく。過ごすこと数時間、M部氏も合流する。
・・・・今日はどうもM部氏の誕生日だったらしい・・・。

私の記憶との一日のずれを言い訳に、閉店間際の焼肉店で炭を囲む。

誕生の意味と、少しずつその想いとずれていく毎年必ず繰り返される同じ日を、今回はどの様に迎えたのだろう。

店を出ると、霧雨が身体を撫でる・・・。

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うまくいかない??

予想外のスロースタートも、4月の折り返しを過ぎ、そんな日常を淡々と働く姿を窓越しに眺める。

前述の通り、普段ほど慌ただしさもなく、それでもものすごく働く姿に明るさを感じるスタッフに感謝の繰り返しを・・・・。
社の求めるスピードと、そこに携わる物の感じるスピードとの誤差に、有る時は苛立ちに似た一種の「錯乱状態」を覚え、その不協和音はどこかで修復出来ないと、中々・・・・・である。
それは、意図しても中々うまくいかないことが多く、やはり会社と言うのは人と言う組織細胞によって始めて機能していることを改めて実感する。それでもそれに甘んじてしまうと、これもまたうまくいかず、神経伝達系統としてに自身の役目に、改めて難しさを覚える。出来る限りの許容範囲とスピードで、弊社を使っていただく多くの方に、あえて最高の物ではなく、必要最低限の位置を占めれれば、この上ない社の存在意義であろう。
究極、この場所の存在意義は・・・・・。選択される立場をこの上なく実感しつつ、其処もまた、「うまくいかないところ」の一つであろう。

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12時59分

気が付けば、この時間の外の空気が澄み切って感じる季節になっていた。

丑三つ時とまではいかないいつも過ごすこの時間、素朴に感じる「不思議」な時間である。気が付けばなんとなく一番頭のさえるこの時間に、集中して明日以降の未来に対しての明るさや暗さを色々とシュミレーションを繰り返し、ひとつの小さな結論にたどり着く。もしかすると辿り着いていないかもしれないこの連続した空間は、これもまたこの時間の楽しみなのかもしれない。
これから自身を襲う色々な出来事を、自然にそして全身に吸収できるよう、今のこの時間は淡々と与えられるべき物なのだろう。

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各々[オノオノ]の日々

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桜もすっかり出番を終え、普段と変わらない日々である。

・・・スィエルヴワテュールでは、今日も施術が繰り返されていた。
相手は、弊社のもっとも得意とする「元公団メーカー」である。
現在の活躍とは裏腹に、ここ日本においては、非常に数奇な運命をたどり、現在のポジションを確立しているある種偏屈な自動車メーカーである。
決して先見的でもなく、繊細でもないこの自動車の強かさが、妙に自身の身体の記憶に残ってしまい、今では我が社でも絶大な位置をキープし続けている。
時々感じる・・・、この世界に飛び込んだきっかけを与えてくれたこの自動車には特に愛情を注ぎ、必要以上に過保護に接せざるおえない。
懐知れた仲であるので、その取扱に特別な配慮も今では必要なく、何がおきても不思議でないはずのこのケースなはずなのに、なぜか心穏やかに進捗していく。オーナーは理解ある寛大な方で、これからも愛し、愛される関係を影ながらサポートできればと各々の想いに託し、作業を続ける。

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本日は、晴れのち雨

そんなにアルコールに対しての耐性のない自身ではあるが、昨晩のそんな一日も、3月の忙しさへ対しての慰労会では、相変わらず・・・であった。

明日も中途での採用の面接を控え、ふっと我に返ると、不思議なくらい、現在の自身の立場を言い訳にした人付き合いを考えてしまう節があることに気がつく。
当然自身にも人並みの感情があるはずなのだが、どこからがプライベートで、どこからが社の長であるのかと言う、所謂、公私の境目に悩まされてしまう。
当然、社で働いてもらうスタッフに対しても、取引先の出入りのスタッフに対しても・・・・。
理想と現実のギャップをなくす事・・・、それは、伝える言葉もそうなのだが、決してそれだけではなく、言葉に出来ないこと出の出来事のほうが、かなりの割合で多くなってきているのも間違いない事実である事に気が付かされる。
複雑に意識する過剰反応の成れの果てが、自身の思いを内に秘めてしまうことなのかとふっと我に返り、何気なく冷静さを装うが、それこそ、そんな瞬間のその思いこそが何かオブラートにでもくるまれてしまっている物なのかと・・・・・、悩みはかなり深刻である。
可能な限りの伝えれる事と、伝えられる立場と、伝える距離の判断がすべての現在の立場での愛情の伝え方として時には捻じ曲げられて伝わりやしないか、おそらく其れが殆どなのだろう・・・。
中々その距離を近づけるることの出来ない自身の経験地の低さと、柔軟性のなさを、窓の外の雨に洗われてみたい気がする。

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新天地へ

新事業部の、実験的フィールドでの具体的なスケジュール調整もとりあえず第一段階での完了を迎えつつ・・・、いよいよである。

自身は常に、先の見えない不安や茨の道へ、この上ない希望を重ね合わせる楽天家であり、また、自身の目で確かめた事実こそ真理であると考える、比較的古いタイプの人間であると常日頃感じる。社の長として、当然、しかるべきセーフティネット的部分はどの瞬間でも思考の中にあるのだが・・・・
今回、この新事業に専任として日々頭悩ませているであろうW辺氏も、この不安定なフィールドの上で、まずは具体的な第一歩を向かえ、まだまだ予断のゆるさない流動的な事業のとりあえずの可能性を多少垣間見れるのではないだろうか。

可能な限り理論的に、先見的レールを渡り易く敷設して行くことに日々頭を悩ませてしまうが、現在のトップダウン形式のこの運営が、少しでも早く個々の意思を持ち、独り立ちしていくことを、この進展地へと向かい走り出すトレーラーに願わずにはいられない。

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春の風に乗せて

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今日のスィエルヴワテュールは、気が付けばすっかり春らしくなっていた。

新年度が始まり、心機一転・・・と言いたいところだが、頭の中に何かすっきりしない蟠りを感じる。
それは病的な物ではなく、かといっても心理的不安定要素から来る物でもなく・・・・、何かしら全身に隙間があるように感じてしまう。

当然日々繰り返される日常や、十分に満ち足りる物事がどうだとか・・・・、しかし、原因が見つからないと解決法にもいたらずに・・・

弊社の居候とは相反して、しばらくこの苦悩と膝を付き合わせ、この蟠る精神状態からの脱出方法を見つけ出さねば・・・。

春の風に乗せてやってきた、新種のウイルスだろうか・・・・。

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安息日

昨晩遅くに、ひょっこりと現れて、ただの気まぐれかと気にも留めていなかったが・・・、つい今しがたに、再びその姿を現した。
何を欲するでもなく、ひたすらに付きまとうその姿は、あわただしさの日々には決してその姿を現すことはないのだろうし、気にも留めないのだろう。

突然の来訪者は、タイミングを見計らったかのように突然うろうろしだした。

見過ごしがちな日常の出来事・・・・・

新年度を迎えたここスィエルヴワテュールに、ベストマッチのその存在感は、媚びるでもなく、我々に何かを要求するでもなく・・・・なんとも気になる奴である。

次回、その姿を拝見した折には、きちんと挨拶させていただこう。

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