如月の本日は、吹き荒れる春一番に波も高く、だけど過ごし心地の良い当地である。
最近は、慌ただしく物事との競争の日々を過ごすという、変わらず何物かに撲殺され続ける毎日である。
感じるに、これら繰り返す平時の出来事は如何にも充実しているかのように、傍目からは傍観される者なのだろうが、なんとも自身の中では未だ近づく事を許されない想いを馳せる未開の地への道すがら、ただ道を見失った道化の化身そのものであり、まさに其れである。
地図の案内する目的地までの道をただトレースし続ける自身の消化し続ける時間の向こうに、「当て所」は存在するのだろうか。
馴れ合う時間と時間が複雑に絡み合うその様は、高らかに打ち上がる波景色さながらである。