ついに・・・・

「日本の「フランス文化の町」”Ciel voitule”での日々を時には抽象的に、時には大胆に?お見せいたします。」

そんな温故知新を心情としたタイトルのブログではある・・・・がしかし・・・・、現実世界の拙速な程の一般論化されてしまった進化の過程の前では、すでに取り残されつつ感じる・・・・それらは所謂「頑固」さ其の物なのか、「悔し泣き」的な無いもの強請りなのか・・・・。

友人の友人の夫妻より、自動車購入の打診をいただいた。経済的利益云々と言うよりも、不肖な自身を使っていただける喜び・・・つまり、まだまだ自身がこの現世において必要として頂ける事への悦びのほうがそれら以上である。
・・・・・・で、最終的な結論は、日本が誇る技術の水を集めて世にデビューし、今世界中を先遣している、あの車である。

ただただすばらしい・・・・緻密さと商業主義的エッセンスとの融合や、これからの世界のリーディングカンパニーであるための自負的戦略と・・・いろいろなエッセンスが凝縮され、今現実の限られた選択肢を集結したプロダクツとしては非常にすばらしい出来である。

正しく、凡そ付け入る隙も無いだろう・・・と言う感じである。

がしかし、何かこの上ない一抹の寂しさを感じるのは自身の中の完敗宣言を否定したい気持ちなのか、はたまた、これは、我々が恣意的に選択させられ与えられてしまった世界なのではないという反骨精神なのか・・・、それともただ、そんな新世界を否定し僻みたいだけなのか・・・、なんとなく釈然としない心のどこかの蟠りを感じてしまう。
寒中の谷間の・・・・少しだけ暖かな昼下がりに思う・・・・・

今日は敢えて「大胆に」自身の心情を吐露してみた。

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Yes We can

つまらない流行言葉のタイトル通り、13名での小旅行と洒落込んでみた。

タイトルとは満更距離感も無く・・・・そんな「破壊と創造」を共にしてくれるスタッフとその家族共々、所謂「慰安旅行」風な旅は始まった。

目的の地は・・・ずばり「小浜」「OBAMA」である・・・・。

島原半島の長崎側に位置する、古い歴史のある湯治の地へは、当地の海の玄関よりフェリーで約1時間、送迎のバスで1時間の合計2時間くらいの道中である。

この法人が設立され4年目・・・やっと辿り着いた小さな精神安堵の行く末の・・・・大英断での旅行にしては、本当に小さな・・・・小さな「旅」ではあるが、壮年期までに経験した多数の「大旅行」と比べても遜色の無い、むしろそれら以上に違った充足感と安らぎを終日心に感じるのには必要十分な決断であった。

道中の・・・解け行く雪解け後の夕景色に重ねる万感の想いは、視覚と言う立体交差の情報を通じ、次から次に自身の痛んだ心と、走馬灯を垣間見るのに似たこの旅と無関係の愛情浄化の精神世界へと自身を誘い続け、追憶の先に願う新たなる創造主の再来を夢見させてくれる・・・。

他方、旅先の旅館風ホテルでは、はち切れんばかりの若さを有する仲間たちと、少量ではあるもののアルコールに溺れ、湯を楽しみ、場末の鄙びた定番の歓楽街を闊歩する・・・。
すべてがパーフェクトといかないところもまた、今の我々に相応しく・・・しばしの安息日を共有する。

この旅が、我々にとって「どの位置」に存在し、これからどこに向かおうとしているのか・・・・在り来たりなそんな言葉が心を翳め、少なくとも自身にとっては十二分な時間であった。

「Yes We can」つまらない駄洒落は満更でもないのかもしれない・・・・。


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次なる深化を求めて。

青天の霹靂にも似た「合意」情報の打電に、俄かに辺りが騒々しくなる・・・。

10日ほど前に、とあるご縁で市街地中心部への「進出」のお話を頂いた。

積算可能な目視の情報と、自身の中の今般のモチベーションを再確認すると共に、研鑽不可能な残りの部分を実感すべく指定の場所を訪れる。

詳細は割愛し、数年前の過去のページへ記憶をロールバックさせる・・・・。

しかし、数年前の出来事はもはや華美なほどの整頓がなされ、しかも理路整然と書棚の奥へと収蔵されてしまっている。もやはそれらは「痛々しい過去の失策」などではなく、前衛的合致が前提の・・・・「行動あるのみ」的単純素行の為の裏付資料でしかない。

同時に、確実に時間は積み重ねられ、自身の持つ能力以上の頑なな信念と若輩さと夢の前では、それらのすべてを否定することなど凡そ不可能であり、むしろ、それらの船に学習しない過去と同様に同乗出来る喜びのほうが、それらの経験則に伴う不安以上に積み増され、おぼろげの記憶に久しい「今を生きる」ことの認識を新たにする。

これから同乗の彼らが費やしていくものは、憚らずも自身の礎となることは間違いなく・・・むしろそうなっていくことが、自身を含めた各事業体が更なる深化を遂げるための必要悪ではないのだろうかと感じてしまう。

ほんの些細な投資ではあるが、この混沌とした経済状況かでは十分に一触即発の不測の事態も想像出来、それもまた一興ではないのだろうか・・・。
早春のオープニングの頃に想像する、一心不乱の自身を思い描いて・・・・。

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5年振りなのか・・・・?

そんなに久しく感じないのは、そう感じさせる何かの因果応報なのだろうか・・・・。

目が醒めて、見下ろす眼下は一面の雪景色・・・・。早朝の寒さにより覚醒させられた意識は、無意識の内に眠り込んだ昨晩から入れっぱなしのテレビより流されるニュースによってさらに確実に意識させられてしまう。
実に5年ぶりの大雪らしく、近隣の道路状況は南国の当地では十二分に想像させられた。で、いつもより少しゆっくり目に出社の途に着く。
それにしても・・・白銀とまではいかないまでも、車窓より目に飛び込んでくる景色の大半は白化粧に身をまとい・・・・雪が創り出す・・・・、雪にしか創造出来ない独特の精神世界に、運転の傍ら意識を持ち去られてしまう。

職種柄、本日はアウトドアでの行動予定はすべてキャンセルし、デスクの前で一人せっかく与えられた不動の時間と戯れる・・・。

このブログで記録に残る積雪は、一年前のちょうど今日らしい・・・。

2004年からひっそりとはじめたこのブログも、いつの間にか6年目・・・・。

今日の雪景色のように、変わらない圧倒的な存在する意味をいつまでも持ち続けていきたい・・・そう願わずには居られない白銀の某日・・・。

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The Godfather

「惜別」が翻意ではない主人公に魅せられて・・・・。

一番最初に出逢ったのは、恐らく十代がやがてカーテンコールを迎える頃だったと思う。
とある「縁」の「同郷」の友人より、その当時、VHSタイプのビデオテープで借りたのか貰ったのか・・・・何れにせよ、その後は自己所有物との位置づけで、この映画と出逢うことになる。

余談ではあるが、とても明晰だが気取らない?嫌、気取れないこの友人からは、その後の青年期の自身を形成する複数のファクターを、匠の妙にも似た絶妙なタイミングで与えられ、自身の知らないいろいろな世界観をこれ等の「贈り物」を通じて知らされ続けた。
ご存知の書生も多いかとは思うが、今日はこのストーリーを自身なりの受け止め方で綴ってみたい・・・。

「リアリストであるべきか?アイデアリストが正しいのか?」

この映画の構成要件の大儀として、「ファミリー」と「愛」と言う大きな設問が設定されていると受け止めている。これはらは両方とも同様のものであるのだが、このストーリーの中では敢えて行間に其々の言葉の意味へ対する悲哀や貧しさ、そして、決してそれらは同意語では成立しないのだと言う複雑さを表現しようとしているかのように自身では理解している。

・・・・あるシーンでは、絶対の存在であるファミリーへの忠義心イコール愛という行が表現されている。幼少期より家族同然で過ごす遺児同士が、その血の血判を忘れ欲に身を流してしまう・・・。それを知ったゴッドファーザーはその血縁ともいえるファミリーの崇高な絆の浄化を目的に、それらを彼の命で償わせ其れと成す。

・・・・愛する女性とその子供たちを守るために、彼の実弟をも殺させるよう命令する・・・それは決して自身の手を血で染めることなく・・・。

・・・・妻を守るための唯一無二の選択を・・・、彼自身が晒される危険な立場や、彼自身ではどうにもコントロールの利かない報復の連鎖から愛するものを守るために・・・、敢えて、それが愛するものを守るためと自分自身に言い聞かせ続け、そして、自責の念に苛まれながらも・・・・非常に傲慢で偏屈なその方法によって得られた対価や結果は想像出来ないまま・・・・。
結果、最愛の妻に恐れ恨まれ続け、さらには身ごもった新たなる命でさえも、彼女の意思による堕胎と言う選択によって失ってしまう・・・。最愛の人と同様に・・・。苦悩の末のいろいろな偏向した愛情表現の末彼が神から与えられたののすべてが・・・・
すべてが、愛するものたちを守るための贖罪の連続が・・・・
ラストのシーンでは・・・荒涼とした・・・まるで着色のない家の庭先で、寿命としての天寿を全うしきったしわがれた姿の老人が一人。本当に古びた椅子に・・・もう何十年も同じ繰り返しの時をそこで過ごし、垂れ流し続けてきたかのように・・・・無機質さが只管と映し出され続けている・・・・。ありとあらゆる本当に大事な物をすべて失ってしまってからの時間が・・・・。

そして、無声映画にも似たそのシーンの最後・・・・。あれだけの名声と金と・・・手に入れることが可能なものはすべて手に入れてきた、強権の長ゴッドファーザーは、誰にもその死期を知られることも知ってもらうこともなく、そっとその亡骸は荒涼とした地面に椅子から静かに崩れ落ちる・・・。

愛する実弟を手にかけたこと・・・・愛する妻と出会いそして恐れ恨まれたこと・・・・愛する娘を凶弾の元にさらしたこと・・・・すべて愛するものを守るためにと直向なまでに努力して来た結果なのに・・・・。

物語は彼自身の壮絶なまでの「今を生きた」数十年を、とてもあっけなく、とても静かに映し出しながら終わっていく・・・。
・・・・・すべてを失ってしまったと言う事。

・・・・・本当の愛を手に入れることが出来なかったという事。
きっとこのストーリーには、「最善か否か」と言う究極のいろいろな物事の表現と、それらの対極で同時間に進行するすれ違う想いと・・・。
それらの大部分が、自身が求め続ける構成要件と交錯し、重ね合わせることが可能な気がして・・・、
そう「カルマ(業)」と「愛」と・・・・。

主人公同様、その答えは見つからないまま・・・・繰り返し自問し続ける寂寞の時間。

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Headache and Cervical sprain

まだまだ始まったばかりの2010年・・・・何かと「全力」であれとの試練を与えられる。

昨日の「避けることが不可避」な事故。

感傷と傷心に浸るまもなく過ごした午前4時の時間から5時間後・・・跨いで迎えた新年の時間は、そんな予言がすでに潜在的に存在していたのだろう。

16時過ぎ・・・所要で出かける助手席から、フロントウインドウ越しに若干見上げるように視線を遠ざける・・・。数年前にロンドンに出張で滞在していたとき、空港に降り立って、それまで機中やトランジットのターミナルで数十時間を過ごした後、いろいろな希望と言う名の自身の中に押し込めた感情をターミナルビルの外にでて開放させた・・・まさしくその瞬間を疑似体験させられるかのようなうす雲と薄日のコントラスト模様である。

何者かによって増長させられる各所の痛みは、今から迎え入れる必然と言う名のオープニングアクトとは切っても切り離せない気がして・・・漫然とした時を迎え入れる気概を抱く。

特筆すべき時間を失った壮年期が目前を過ぎ去っていきながら・・・・新たなる変革を切に願う。

外傷的心身膠着状態の時は続く・・・。

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deoxyribonucleic acid

起源説に纏わる神秘のたびへ・・・・

昨日は、自身の遺伝子学上の系譜ともども、午前中より無信仰の人々の群れ同様に社へ向けて頭をたれる。
母とその姉と自身とで出かけることなど、凡そ特別なことでもない限り今まで実現することなどなかったのだが、自身の老齢化なのか、デオキシリボ核酸の数基配列に忠実に従うべく行動なのか・・・・理由は別にして、自身より今回の外出を提案する。

私からすると叔母に当たる母の姉からは、諸般の事情により相当の愛情を頂いて育ってきた気がする。そして自身の中では必然のごとく母同様に重要なファミリーだと認識している。正確には存じないが、幾多の病魔を乗り越えた現在70数歳ではないかと推測されるその生き様は、そのまま今我々がその存在を依存する国家建設のプロセスそのものではないのかと感じずにはいられないほど「生きる」力を感じてしまう・・・。決して、生かされるものではなく・・・。

どれほど自身の人生の構成ファクターとして重要なのか、つい最近まで気づかないほど親不孝な自身でさえも、もはや彼女らが自身のために費やしてくれた壮年期を、帰られないほど全力で注いでくれた愛情の一片ぐらいは与えてあげたい・・・・そう感じる2010年お正月の某日である。

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love and tenderhearted

世界中が新年を迎えつつあるように、ここはすでに色々な「NEW」が始まろうとしている。

新年と言う響きとは裏腹に、心穏やかでない新たなる破壊と創造を繰り返し始める。

グループ会社の単月売上がこの不況下にもかかわらず、過去最高の数字へ達し、自身の知らぬ間にその偉業を成し遂げた兵どもは、また更なる高みを無感覚の精神状態で欲し始める。

伝えたい思いがうまく伝えれたのか・・・納会での自身の言葉は高揚し、それを押さえ込むべく理性の作用と相反し続ける。それでも、垂れ流す複合体の言葉郡の一篇でも、彼らに伝えれていれば・・・今はそう意識するばかりである。

他方自身においては、とある一区切りに煩悩をあえて撲殺させ、意味合いは違えどやはり、破壊と創造は先天的に培った・・・・、もはや自身の中の野生のように繰り返す。

敢えてこの日に書き記すことに重要性を見出すべく、自身の衰えと怠慢への鞭と変える・・・。

無常なほど無機質に、必然なほどに淡々と・・・2010年もひと波乱感じてみたいものである。

今から海を見に行こう・・・・。

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for good

雑踏の主人公たち・・・・センチメンタルなスポットライト・・・・今日の主演は間違いなく自身も含め「其々」の人たちである。

関連会社のケーキの配達に追われた昨日に続き、今日も混雑の支配する往来に飲み込まれる・・・・。

この時期は「やはり」例年の期待を裏切らず、季節感とは裏腹に深々と日々を過ごしていく。

早朝関連会社 GM と共に、とある出生の「某地」を訪れる・・・。
感慨と刹那さを押し殺し、自身の費やした往年の時間を、我々からのささやかなクリスマスプレゼントを手にした、幼心の君に重ね合わせる。
澱みに覆い尽くされた純心無垢な精神は、決して表に露わにせず、しかし目前の聖職者に心洗われながら聖なる早朝の時間を駆け抜ける。

不特定多数への・・・博愛よりもむしろ、ピンポイントでの愛情表現が尊まれる特別な日は「其々」が何か一縷でも心奪われるものなのだろう。

何か特別さを感じながら、遽しさの中へ孤独・・・そして、止め処なく溢れ出る感情を奔らせながら、今日と言う特別な時間がに身を任せる・・・。

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例年通りの・・・

淡々と過ぎていく師走の某日・・・それは安息日間近の例年の光景である。

これはいわずと知れた景気動向に左右されるものではなく、もう7年近く繰り返されてきた・・・・、むしろ、こうなると「やけっぱち」なほど変わってほしくない光景である。

そんな本日は、類まれな早朝音痴の生活習慣病の病を押して、10時よりの遠方某所での商談のために7時に起床する。
30分ほどのシャワーの後に、さらに黄昏の30分を漠然と浪費する。

パーキングでDレンジにシフトを落とした頃にはすでに、アポイントまで1時間弱と言う絶妙な時間を残し、目的地へ向けアクセルを踏み込む。

解けていく初対面の疑心も解けかけた頃、自動巻きの腕時計はやがて正午まで10分足らずを残すばかりである。

普段単身接することない非日常を欲し、国道沿いの古民家風名物料理のお店の暖簾をくぐり、敢えて窓際より一列中央の席に目線を落とす。
自意識過剰なほど周りと筋違いなほど交われない自身の置かれた状況に、変に満足しながらご当地名物の料理たちに、箸を手向ける。

帰社後、本日の実務を確認し再び野暮用のためにまた車を走らせる・・・・・。

師走の某日はまだまだ続く・・・・。

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