暖冬の2月も過ぎ、振り返るまもなく弥生の月に突入である。
日中の暖かさであったり、蒲公英の鮮やかな黄色色だったりと、すっかり春めいた陽気の一日である。
相変わらずの毎日ではあるが、色々な事案が交錯する、苦楽共々の日々である。
年度末の繁忙期で、弊社も「類に漏れず」世の中的な忙しさに巻き込まれ、些か致し方のない状況が続いている。
合わせて一社決算も間近にし、これもまたタイミングが微妙なAnualイベントである。
毎年の事ながら、弥生とは無縁の3月の某日。
暖冬の2月も過ぎ、振り返るまもなく弥生の月に突入である。
日中の暖かさであったり、蒲公英の鮮やかな黄色色だったりと、すっかり春めいた陽気の一日である。
相変わらずの毎日ではあるが、色々な事案が交錯する、苦楽共々の日々である。
年度末の繁忙期で、弊社も「類に漏れず」世の中的な忙しさに巻き込まれ、些か致し方のない状況が続いている。
合わせて一社決算も間近にし、これもまたタイミングが微妙なAnualイベントである。
毎年の事ながら、弥生とは無縁の3月の某日。
「建国記念日」と友人の新たなる「建国」を祝うべく、腐れ縁の共々と遠州灘より吹き抜ける風に逢いに・・・・片道7時間の倹約旅行である。
忘却の彼方へとは置き忘れることのできない・・・もはや、この年になると、人生の伴侶にも似た擬似相関の元にひきつけられる様、友人4人と今回の暗黙の地を目指す。
折に触れ葛藤の真っ只中の胸の内を語り聞く・・・、所詮我々には、彼自身の選択する全てを「良」として受け入れることしか選択肢は無く、すでに始まってしまった事後報告のその様を其々に想像する。
旅の足は、只管に「鉄路」を使用し、自身の中にも知らずに溢れ出る感慨の念を素直に言動にしながら、白い目の視線も何のその、駅弁だ何だと、旅のお供と共に退屈と無縁の旅路を過ごす。
すっかり日の落ちた御前崎のその街は、人も疎らの・・・・四方や瞬間的なその友人の「建国」の地の経済に不安を動物的に察するも、レンタカーに身を寄せ合い、ナビゲーターの無機質な音声案内を頼りにしばし走り続ける・・・。
予定到着時刻よりやや早めの21時前・・・、目的地の・・・・我々の乏しい創造力とは合い塗れぬ佇まいの3Dのその姿を目の当たりにする。
旧式の自動ドアに、あえて友人の選択を感じ、暖簾越しに入り口を2つ・・・威勢のいい他人行儀の掛け声の後の・・・恐らく事実の確認に多少の時間を要したのだろう、嫌、事実確認中の友人の顔である。
そう・・・、我々の今回のミッションは「秘匿性」が最大の売りだったのである。
お互いに抱えるこの想定外のリスクは、祝宴には再考の演出であり「・・・らしい」はずである。
前述の察するものとは裏腹に、愛する家族を守るべく・・・愛すべき己自身を奮い立たせるべく・・・・精一杯の愛情で接客するその様は、自身にも必要であることの再確認には十分な演出である。
でもって、この過疎の地の深夜に、酌み交わす杯を求め友人に腐心して貰うも、行き着いた先は外国人タレントの多数在籍する・・・・一人の友人曰く、昭和そのもの・・・らしい。
うだうだと酔いどれの時間が過ぎ、友人宅に宿を授かり雑魚寝のその姿に、お互いが費やしたはずの知らずの10数年が有意義であったことを確信する。
結局、他愛も無い小旅行ではあったものの、童心に返るほど年齢を重ねた「おっさん」達の、どうしようもない程愉快な旅であったということである・・・。
まだ生かされる価値がある・・・・自戒の念なのか何なのか・・・・何れにせよ大忙しである。
例年のデータによれば、12月そして1月の閑散期・・・・そして迎える繁忙期、セオリー通りに行かない混迷の市場経済を体験している。
日経等の指標や、経済学者の論説・・・日銀の短観等色々な経済動向が示す現況があるのだが、初めて自身の身に的を得た感の有る年初である。
絶えることの無い来店のお客様の応対であったり、工場の機器達がフル稼働する様、スタッフ其々もそれらに呼応するかのように各間接部門も含めの忙しさである。
常に結果の出ない物事へ・・・嫌、正確な表現では、いまだに結果の存在しないこの日今日この瞬間に、とりあえず実感できる数字上の安堵感であるりとりあえずの「結果」である。
日々戦略的ミーティングの際発する言葉、あがき苦しむことのその先の・・・その渦中では想像もできないししてもいけないという結局楽観的且つポジティブな近未来が必然として存在しても、やはりあがき苦しむことを欲さなければ行き着くことの無い今のこの瞬間であること。
中々其々の中で自身に否定的な発想な為か、うまく噛み合わない言葉の意味とアクションではあるが、最近感じるサディスティックな言葉である。
残り後3日、記録更新の今も尚貪欲で在れる自身気持ちに喜びを感じる
選択と行動を繰り返すその成れの果ては・・・・楽観的な思いが募る・・・。
久しくこの時間が底冷えして感じる。
本日夜半は、遠赤ヒータの前で過ごす淡々とした時間である。
ある時間を境目に、この地は急激な気温低下に襲われる。先を急ぐ自動車たちのその気持ちが手に取る様に分かる・・・・そんな寒さである。
鉄鉄しさが、変に心穏やかにさせる・・・・もしかると、こうして夢中になれる何かに穏やかにさせられているのか・・・・何れにせよ奇妙なほどの集中力である。
フライイングブロックと呼ばれた頃のそれとは違い、随分と端麗な感の有るこの自動車は、タイミングベルトテンショナーの破断によるバルブクラッシュ・・・・まぁほど無く理解できる技術者の皆様はさておいて、非常に地味な作業の途中である。
DOHC5気筒20バルブ・・・・つまりは、20本のバルブを「当たり前」の定位置で稼動させるべくの交換作業である。表立って派手さの無い、非常に地味な作業である。この人知れない作業の先に当然至極の、当たり前に火の入るエンジンの鼓動が存在する・・・・・。
人知れずといえばもう一つ・・・・、又新たなる事業会社が当グループに加わった。
これまた地味に自身の中で燃え上がる、外観とは裏腹のアクションである。
まだ見果てぬ可能性を追い求めて・・・・受け売りのその言葉がぴったりな底冷えの夜である。
まるで手も足も見えない・・・・何かに拘束されたかのような、其々の葛藤の日々である。
色々な要因により強いられる現実や、強いる必要のある・・・時として受動的な経営戦略に、ある種独特の拘束感や閉塞感を感じることがある。全て自身の手によって執り行われ始めた物事ではあるが、なんとも折に触れ理解に苦しむ時間を感じる。
一番の要因はやはり、物理的なところに起因する事であろう。それ以外に、巻き込んでしまったことに対する贖罪の念もそれなのだろうし、手を差し伸べてもらえる悦びと裏腹の虚しさもそれだろう。
非常にセンシティブな話だが、結果が何よりもその時間の大部分を占有する日常で、結果が・・・嫌結果以前の状況で色々な議論が執り行われると、非常にネガティブである自身の思考に気が付く。
当然、短絡的且つ楽観的潜在能力により、直ぐに払拭できることなのだが・・・・その繰り返しに程ほど成長乏しい自身を垣間見るのもまた稀有ではない気がする。
いずれ劣らぬ兵どもの中で、いかに自身が存在できるか・・・存在価値を見出せるのか・・・・暗中模索・・・ぴったりに響く言霊に、今日のこの日を苦悩する。
普段通りの・・・気候も人並みも、すっかりと睦月の日の一日である。
相変わらずのスィエルヴワテュール・・・・。通年もこんな感じだったのだろうかと、何気に遠い記憶の手帳をめくり返す。
前のめりであることが心地のよい、潜在意識の指示により、インフラ整備は程ほどの各事業会社の企画立案ばかりに直面する。
此処は・・・そう、あえて時計の時間を止めれる空間としての存在意義を発揮し、群れる彼等も「おなじみ」の顔ぶれで「変わることの無い」時間を誇張する。
変化を求める特異体質?は、飽きっぽいのか、はたまた前衛的でありたい・・・のか、気が付けば形成されてしまった自身のセンスであり、時にそんな存在を不純な者として、卑しいものを見下すようにも感じてしまい、なにかと複雑なものである。
結果、其々のアクションでの「選択と行動」は、加速度的なスピードに達し、冷徹なほどの「選択」と「行動」も数多く執行する。
物事の成否よりも・・・・むしろ・・・いや間違いなく自己満足の輪の中に、より多くの存在を意識し、其処から生み出されるエネルギーへの贖罪として、自身の肉体的享受物を輪廻的に供与する。
其処から繰り返し始まるその輪廻の輪は、誰が止めるでもなく・・・・、気が付けば自身も止めれる訳は無く・・・・役不足のCEOとして歯痒くも在る。
うまくバランスをとろうとすればとろうとするほど、より多くの・・・数多の力を自身の輪廻の渦中に紛れ込ませ、そこから抜けだしたいと思った瞬間は、すでに遠い過去の出来事で・・・・幾戦もの不甲斐無さにまた塞ぎ込む。理解を求め語りつくす、より多くの言霊も、気が付けばそうなることを知らずに望むもう一人の自身の罪である。
後どのくらい・・・今の自身が正しいのかを信じれることだけが、生かされ続けることの意味そのもののような気がする。
複雑怪奇な思考の原因を肌に感じ、質実剛健の真相心理の意味を問う。
グループ全ての社員達が、休暇明けのそれぞれのセクションで動き出す。
何とか2006年を「無病息災」的に過ごせ、又新たなる1年が迫ってくる。
お正月はと言うと、密かに社での業務に追い立てられることの無いように、好きなように過ごさせていただいた。
31日・・・工場で戯れるビスコンティー家の其の物に、無心で対局するもフラストレーションばかりが増大し・・・・心も通常モードのまま夜半まで・・・・。K田ファミリー・H山氏・K西氏共々恒例の宮詣でに足を伸ばす。
元旦 好きな時間に起床し、好みのペースで内勤業務に当たる。後、毎年恒例の「新年会」へ御呼ばれし、新しい年を祝う。
2日目は・・・・2日目もやはり寝坊気味に社へと足を向け、年越しをガレージで過ごすつわもの達と戯れる。人気も疎らで・・・・やっとのことでたどり着く「新年の感」である。
本体最後の休日の3日はというと、すでに全快のモチベーションで足元の日常を直視する。
来賓のM部氏はと言うと、愛息子と離れ離れの・・・ただの木ぐるみ人形である・・・。
そんなこんなのお正月、色々な思いを馳せる時間を過ごされたことと思います。
自身の馳せるその思いとは・・・・どこと無く連続する思考と選択と・・・・、そして行動の連鎖が続くのみのしばらくだと思われる・・・。
クリスマスケーキをトランクに詰め、暖冬の街を走り回る。
昨日に続き本日も、クリスマスケーキの配達である。
別にケーキ屋さんを始めたわけではなく・・・・、関連会社の販促の一翼を担う為である。
クリスマスらしいのは、無意味に繰り返す渋滞の列が、ショッピングセンターの奥底へと吸い込まれるように繋がり続ける様であったり、お届け先の皆様が、愛する人のために用意したプレゼントの話など・・・気候とは無関係の事象からである。
当人は・・・自身の予定はと言うと、本日未配達のケーキの配達数件と、通常業務のスケジュールの調整と・・・・もう少し時間が必要である。
皆様のサンタクロースは何処に・・・・ココ!
某ホテルの一室の・・・・円卓を囲む皆々である。
テーブルマナーとは裏腹の下品な生き物が、毎年一度だけ必要に迫られる時間である。
消費されるアルコールの量と、食される洋風の高級食材は、普段の倹約な温かさとは相反し、寄せ飾る量はさほど無くとも、単品でデコレートされる其々の瞬間の主役達を食するとなると、それはそれでしっかりと満腹中枢を刺激してくれる。
スパークリングワイン、赤ワイン、白ワイン・・・・食材に合わせて注がれつつける連鎖的ソムリエの選抜に、非常に耐性の低い自身にとっては、打ち首前の清め酒にも似た至極の一杯である。
日付が変わる頃の自身は、同時期にして肉体と精神はちぐはくなまでに変化して、1歩進める肉体の4歩先に自身の心意気を・・・2歩後ろにまどろむ気持ちを其々に・・・何とか宴の席の終焉に立ち会える・・・。
可能な限り余韻を楽しもうと奮い立たせる全身全霊のラストランも、着飾れたクリスマスのイルミネーションを階下に覗くホテルの部屋に放出し・・・・そう、生理的に放出し・・・そのまま目覚めることなく耳鳴りと自身の鼓動を子守唄に静かに・・・静かに更けて行く。
何はともあれ、自身の中の一区切り・・・明日からは全社ひた走るのみ・・・。
色々な要因があるのだろうが・・・・今日も明らかに「暖冬」である。
言い訳ではない・・・・。
最近、頓に雑用が増え・・・このブログの更新も「疎らな・・・」 ・・・・言い訳である。
そんな今日は、休日(社内的慣行の)の為一人慌しく時間を過ごす。この時期には珍しく「行列のできる・・・」・・・・わざわざご来店頂くお客様に本当にご迷惑をおかけした終日である。
方や工場では、何とか「早々の」退院を目指す娘息子が、気難しそうに悪態をたれ、自身の施術の順番待ちで溢れかえる。
毎時期思う・・・・無意味に区切りをつけようとする体内時計の虚しさに、なんだか気ばかり焦ってしまい、「師走」と言う名の既定路線に疑問を覚える・・・。
精神的なゆとりと実務的な慌しさと・・・・合いまみれない心理状態の交錯するこの時期に、今年は少しだけいつもと違う・・・・センチになれない理屈も存在する。
ひとつには・・・・愛すべき異常増殖した社員達に。
ひとつは・・・・果て度無く増殖を要する「パンドラの箱」を自らの手で開けたために。
よりリアルな「時間」と「対価」を要求され続ける日常に、多少なりとも自身の精神状態の限界点が明確でなくなり・・・多少麻痺させられてしまっているのかもしれない。
十分すぎるほど幸福なのだが・・・これもまた尽きぬ人類のあくなき向上心の功罪か・・・・。
いつまでも続く暖冬と、確実に訪れる新年と・・・・。