What am I supposed to do ?

「何をしなければならないのか?」

単調な設問と不明瞭な回答が、何かの瞬間に自身の中で繰り返される。

単調さをいまだこの年齢を迎えても「悪」だと断言してしまう自身の性格では、そうやすやすと平安の時代を迎えれるわけでもなく、日々が変化の枚挙に富まない日常を過ごしている。

弊社の事業グループは若年齢化が進行し、ミーティングや個別でのディスカッションもそんな彼らが対象である。
 一昨日もそんな「彼ら」の中心人物の一人と、五月雨の厚い雲達を押しのけようとする朝日が姿を現す寸前まで、言葉の海に溺れて行った事がある。

自身の40年間を丁寧に言葉にのっけ、「彼ら」の人生の選択と集中の妨げとならないように・・・がしかし、現状に甘んじることのない変革者を目指して貰う為に・・・・、結局「自身」という、生き方を選択させようと没頭する。

どれぐらいの量の文字を発し続け、どれぐらいの量の文字を受け止めてもらい、結局「何文字」が「彼ら」の心に・・・そして体に残って行ったのか、これは触れてはいけないパンドラの箱的な愚問であろう。

人生のやがて半分近くを、自身を押し付けることで自身が生きてきた証としてきた自身だが、当分の間「心」が落としどころを見つけることはないだろう。

What am I supposed to do

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