不肖な自身へ

昨年の今日は、自分自身を確かめるべくニューヨークへ・・・今年の今日は・・・昨晩のみ過ぎてHEAD ACHEとその前日の肉体のワークアウトと、ダブルの感傷に浸っている。

近年は、アルコホールへの耐性がかなり増しつつあるのを実感していた折、現実は早々自身を研鑽の先へとは導いてくれないものである。

肉体的な成熟又は退化の過程、もしくは精神的熟度が、自身を取り巻くこの一般論的な「過酷」であろう状況下でどのような判断を下し、果たしてその意思に肉体が追随可能なのか・・・これからもまだまだ見所があり面白い自身の生かされ様をともに楽しんでみたいと思う。

閑散期が続く経済状況下が、再び自身をそう遠くもない夢の世界へ引き戻そうとするこの感覚が、現実逃避なのか本当に本物の思いなのか、正確にトレースし続ける必要がある。

いずれにせよ、こんな他愛もない自身の誕生日でさえも、何某かのきっかけになるというのはまだまだ必要悪な人生なのだろうことを実感する。

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