時々感じる素朴な疑問、費やした時の分だけ、本当に自身は幸せに、そして設定されたある瞬間よりも成長しているのだろうか。
清澄な概念は人それぞれだろうが、安易に重ねてやしないかと言う年齢と、取り巻く周りの人々が、少なくとも同じ速度で前進しているのかと言う不安みたいな物や、同じではいけないと言う競争心や、費やしていく間に得る複合する不要の物や・・・どれにも正論が無いが故に、自ずと論議の対象に成ってしまう。当然人は・・・人自身のそれぞれの速度で進むべき物なのだろが、やはり集団の中に存在する自身を意識し始めてからは、時々それらの成長の変化に不安に似た確信のもてない疑問を抱く。
あの頃は良かったとは思わないけど、あの頃は楽しかったとは思ってしまう。それでは今がつまらないのか、ちょっとだけ不安になる。絶対的に今が一番であることを信じているのだが・・・・。
何て事のない日常に気づく、費やされてしまい・・・費やされ始めれる過去未来に、ついつい在り来たりな杓子定規で挑むこと自体が、自身の成長へ対する愚問なのだろうか。