慌ただしく駆け抜けた週の始まりは、無事に最終の搭乗案内を聞くところまで来た。
それぞれの想いを紡ぐ群衆に紛れる事が目的だったのだが、それは稀有な出来事と感じない年齢の自身がいる。
哀しみが大勢ではあるのだろうが、生物としてのある種の順番からすれば、語弊はあるものの順当ではあるのだろう。
迎える当事者の心中を推し量るまでもないものの、彼らの想いはまた何処へ馳せるべきなのか、現実世界がまた、それらの想いも複雑にする。
故人達がどう生きてきたのか、もしくは、どう生かされ誰に必要とされ、誰を必要としたのか、自身に残されたどれくらいかの時間にトレースする。
さぁ、帰ろう。