葉月の終わりのこの時期は、例外なくセンシティブでメランコリーな気分で迎えている気がする。
当グループの主要2社の会計年度末という経済的要因は当然として、それ以外に自身にそう思わせるものは・・・・
思い当たる物事が多すぎて・・・・人を愛するということ、そして離反してしまうということ、それはまるで季節の移り変わりにもよく似た・・・、そう、夏から秋に、生きとし生けるこの地球上の生物が繰り返してきた自然界の摂理に近い営みで、それらもまた繰り返していくのだろうと認識させられてしまう。
もし神が存在し贖罪の末に許されずに与えられたこれらが罰であるならば・・・、もし許しを請うことができるのであれば、毎回、「もうこれでいいだろう・・・・」そんな独り言をつぶやいてしまう弱い自分にめぐり合う。
もし、チャンスがあれば過去にロールバックし修正できる瞬間があるのだろうか・・・・
もし、出会わなかったら違うお互いであったのだろうか
もし、・・・・
定説的なこの「もし」の繰り返しに、自身が愛した人への喜びや悲しみを重ね合わせるものの、結局は繰り返してきた過去の「もし」と寸分違わぬストーリーである。
憎むことで自愛することしかできない哀しい性は、最低でも繰り返した道を進む原動力にはなっている。なっている・・・。そう納得させることしか今はできない早秋の葉月の末日。