一応社内的には休日の今日も、いつもと変わらず・・・の一日のはずであった。
・・・・のはずであった。
これはつまり、すでにその瞬間が「過去」へと移行した瞬間でもある。
そして、ふっと考える。
「普遍のもの」は存在するのだろうか・・・?
「時間」この概念を自身の中で如何様にコントロールするのだろうか・・・?
自身の携わる現在の状況は、どうしても時間に追い掛け回されることの連続である。しかしそんな瞬間にも、ほんの些細なことと想い、やりすごしている時間が、実を言うと取り返しの付かない!そんな時間になっていることが多々ある。
現実的には、それらの大部分を自身に従属させる形で・・・と言うのが理想ではあると思うが・・・。
何気なく振り返れば一番身近にある自身の積み重ねられる時間=年齢。それに加えて、今最も大きなウエイトを占めるグループ全体の事。
・・・時々無性に寂しくなる。それは本当に僅かの瞬間での出来事ではあるが。
瞬間的に取り残された感のあるのは考えすぎなのか・・・・時間に。
よく耳にする「普遍のもの」これが存在するのであればどのような形で、どの瞬間に、そして誰からそれを知らし召させられるのだろうか。
遠い昔から一般的に存在するとされる、全知全能の神。
時に埋もれ世に毒され、気が付けば失ってしまった気がするそのもの自体、こんな瞬間にそれがそうだったのかと気が付かされてしまい、見透かされてしまう。
つまりは、「普遍のも」は存在しないのかのように・・・。
何気ない今日がくれたころ、気づかされ、求めてしまうほんの些細な幸せに少しだけ置いてきぼり的感のある、そして気が付く「きっと変わらないもの」の自分自身。