3月の残務もひと段落のスィエルヴワテュール・・・。
慌しさの余韻が残るものの、残ったものはその余韻のみにあらず・・・・「やはりそうか・・・・」という確証のもてなかった妄想へ対する憤りと言う名の現実そのものであった。
色々な私利私欲は存在するものの、そんな中に存在するささやかなルールですら置き忘れ去られるこの現実に、そんな世界に身を投じた事への殺伐の念も払拭できず、これからも恐らく続くそのものに、如何に対峙すべきなのかと言う、すでに現在進行形のこれからに、とりあえずは多くを語らないことを自身の中に明示する。
多くの自身をさらけ出すことは、それだけ自身を無防備化することへと比例していくことを承知の上で、あえて時にまっさらな状態をさらけ出す、その近道の術も・・・・・・、それらが時に、自虐的なまでに自身へ対する攻撃の最終兵器とかす瞬間・・・、それもまた無防備なまでに現実で、またその現実もこうしてさらけ出す無能な自身が存在してしまう・・・・結局変わることのない・・・・これが実際の日々日常である。
それをを承知で手を出したそのパンドラの箱も、尚更に今は・・・・・ずいぶん久しく感じることのなかった「後悔の念」の封印そのものであった。
それでも尚、生かされ続ける自分自身に今、改めてその意味を問う・・・・。
こうして書き綴る文字の羅列にすら、虚しさの残る今日この頃・・・。それでも進む時計の針・・・・。