連鎖的な雨模様と性善説を前提としようとする文章の狭間に、切り替わった心の傷を垣間見る。
変化を追い求め、常に「破壊と創造」の自責が、私的な心を支配している。
その割合が、ほぼ10割なのかまだ余白の残された割合なのか・・・ついつい素朴な自身の潜在意識に問いかける。
思い描く理想のライフワークバランスは・・・?その問いかけを、随分と昔は偏重気味なほど全てをビジネスの世界に投じれる努力をしてきた。心も身体も・・・。
一つ一つのアクションのたびに・・・一つ一つの出会いのたびに・・・都度都合の理由をつけて、常に100パーセントを費やす思いで駆け抜けてきた。
気が付いて得たもの・・・失ったもの・・・・。
今この瞬間、何故かしら・・・素直に、「今この瞬間の為に過去と言う時間が存在した」と・・・過去は今と言う時間の礎として存在したという自身のロジックに、疑心と言うずれが生じている。
本当に犠牲にした・・・してきた事象は正解だったのか?
ただ安易に、失ってしまった過去ではなかったのか?
そして心の奥底から「後悔」していないのか?
まるでパンドラの箱を空けてしまった瞬間のように、立ち止まってしまった。
明確に思い出せない一つ一つの経過した時間達を、断片的にしか精査できないながらも、やはりその疑問に抵触する重大な罪は思い返すのに難しくはない。
自分自身を裏切りつづけた数年間と、すれ違った時間との相打ちの数年間と・・・傷つき傷つけた出来事は・・・・、本当に正しい時間だったのか・・・。
出逢った事と、それが与えられた人たちの其々のその時間は、幸せだったのか・・・。行間を凝視して読み取れるそれらは、表面的ではない何かに多い尽くされているような気がする。
資本主義社会に身を投じたものの罪として・・・見返りとして得た今の自身が、とてもじゃないがまともな人格で無い気がするものの・・・・。
思考の停止した今を過ごすこの時間でさえも、翻弄される資本主義社会の兵達が自身の意識を振り回す。
死に急ぎ、終末論の線上で生きて生きたいと・・・・、繰り返した自問に今些かなりとも引っかかり違和感を感じた時間を過ごす。
そして又繰り返されるその中で、この思いもかき消され過ぎ去ったものとして能動的に処理される。
不幸は・・・・このような存在したこと自体かもしれない・・・・。
贖罪の輪廻は繰り返される・・・・。そして虚勢を張りつずける弱い自身も存在する。
泣きながら綴る想いも有る・・・。
振り返っても帰ってこない時間・・・それが後悔しない為の生き方だったはずなのに・・・。