出社直後の来店や電話の慌しさを脱し、足早に市街地へとアクセルを踏み込む。
現場での打ち合わせが連続する日々は、数年前の・・・・グループ事業の波状化に精一杯だった当事の時間をトレースする・・・「同じ」時間が、摺りこまれた記憶の断片と同化する・・・。
違いと言えば、着実に3年の月日が過ぎ去り3年間の年齢を積み重ねていること・・・あとは・・・後は思い出してもそう大差の無い、繰り返す自身の中の「信義の法則」のみである。
人が其々持ち合わせ、癖として身に着けていくものとして「信義」は構成要件の大きな要素だと思う。しかし、言葉とは裏腹にそれは常に変化し続け、その時々の心理の変化や成長のプロセスに則し、大らかな変化を遂げていく・・・。しかし、ひとは信じ続ける「信義は一つ」だと・・・。
決して、悪意を持った悲観的発言ではなくむしろ、それらは正常な人としての生業の一種であり、それが故に人として、時には人格者として大成するのではないのだろうか。
生きとし生けるものの宿命の縮図・・・・。人生とは如何に在るべきか・・・。