そんな今宵は、じっとりとした憂鬱さとは裏腹に、ひたすらエンジンに対峙する・・・そんなひと時を過ごす。
今宵のように過ごすこの時間は、はかけがえのない、唯一彼らとゆっくりと時間を費やす・・・本当に素敵な時間である。
残務に追われ、奇奇怪怪な数字の羅列を追いかけるひと時の重要さは、それはそれで十分理解しているのだが、それでも、「やはり」と感じる時間である。
恐らくその理由の大部分は、それそのものが特有的に持合わせる「終わりがある」という有形な作業が大部分を占めているからであろう。前述した相反する世界は、云わば、「∞」であろう。どちらが重要かと言う議論よりも、あえてこの時の過ごし方に十分満足出来ていると感じる自身にとっては、今は、唯一選択可能なリラクゼーションのひと時であることが真実である。
さて、もうすぐ嫁入りの近い彼女は、恐らくその全身の70パーセント近くに入念なお色直しが施され、残り数日を費やすばかりの所までこぎ着けている。 嫁ぐ先は、非常に温かみのあるファミリーであり、きっと彼女も末永くかわいがってもらえるのだろうと思う。そして、何よりも楽しみなのは、普段着のまま・・・、そう、日常の雑踏の中にひっそりと紛れる彼女の姿を、どこかまったく意識の存在しない「瞬間」に、まるで数年前からこの場所で待ち合わせていたかのように、偶然を装い、さりげなくすれ違える瞬間だろうと思う。
・・・やがて雨が上がり、太陽が其の頭上で全快に光り輝く頃には、すっかり家族と同化した彼女の姿を、近所で拝見するだろう・・・。