意味不明な存在の自身の心には、いつでも「明日をつかさどる法則」が存在する。
きっと特別な物ではない。が、自身の杓子定規の範疇での時間の経過に起こる色々な物事のその瞬間瞬間の出来事に、フッとした時に足を止められ、何気に見過ごしそうになるその瞬間に、全身全霊の力を込め、何気ないその瞬間の事象に対しての結論を導こうとする。本当に執拗なほどのその行為を、時には他人に強いてしまいそうになる自信の存在が、しばし嫌になる時もあるが・・・・、しかしその事こそが、私にとっての「明日をつかさどる法則」に他ならない。極論、予期せぬ死を目前にする人間に与えられる、普段見られる事の無い彼らの行動は、「死」を覚悟して起こるのではなく・・・、少なからず、死を乗り越える次の瞬間のための・・・、いわば「明日・・・」に準じたアクションではないのだろうか。
死を迎えるために生き、生きた証として存在する死・・・、互いに惹かれあいながら、究極のその先を求め、日常の糧を求め続けるその行為が、私の中の「明日をつかさどる法則」なのだろうと感じる。