暑さの感じ方が正確になってきた。
つまり、具体的に何を持ってして熱を暑さと感じるのだろう。または、自身の体温と比較して、どの位の感覚を超えると其れを危険な暑さと感じるのだろう。
正確になったと書いたが、つまり自身の場合延髄部、首の深部を熱源として体全体の機能がセーブモードに入りかける感覚を最近感じることが多い。
でも、目前の亡骸には恐らくそのことすら意識するすべは喪失しているのかもしれない。
記憶は時として不正確な物語の始まりではあるものの、28の歳の頃から互いに承知しているはずである。ブレーキの効かない半人前からすると当時は、大変大人なんだなと感じた記憶が鮮明にある。
年齢的にも時代背景的にも、何に惹きつけられ受け入れてもらったのかは定かではないが、確実に結果一方的な愛瀬の形だったのかもしれないが、共有する時間は長く、共有する物事の深度は深まっていった。
幼少期の人となりは、まったく想像はつかないものの、気のせいなのかもしれないものの、自身が近い年齢になったからかもしれないが、冗談交じりに放たれた多くの言葉の中で唯一聞き取れた言葉に若い頃の姿を感じたのは、大袈裟ではない正直な感想で有り、悔しいが今まで費やした時間の中で初めて、同じ感覚を感じ会えた気がする。
別れ際に握りしめた手の温度は、自身の今の温度とどの位一緒で、どの位違うのか聞いてみたかった気がする。
無責任なもので、この勝手な感傷をもっと形にできなかったのか、結局この数ヶ月間抱いていた葛藤も、未解決のまま迎えるのだろうことも、その通り想像のままである。
ありのままに生きる方法、何を残し、何を清算するのか、、、
きっと最後まで苦悩したのだろうけれど、澱みない自身の今のこの感覚は、きっと受け入れてもらえてるんではないかと、今は素直に感じている。
今日は少しだけ雲が多く過ごしやすいかもしれない、、、