- 2010-02-06 (土)
- Ordinary Ciel Voiture
所謂、商売の谷である如月の月初ではあるが、恣意的な行動ではないもののなんだか全力を求められる予感である・・・。
関連会社の新店改装工事は、未だに創造の具現化には達せず、かかわる其々の内面で実現可能な想像不可能の新たな形態を未だ模索の途中である。
最近の日課に組み込まれつつある、繁華街への出没も、そんな「何か」を求めての無意識での行動なのだと自身の中では消化させようと努力し続けている。。
何時でもそうなのだが・・・何か新たなものを創造する過程で、まず「結論」あり気の傾向が自身の癖としてある。その理由は、思考の幼稚さが主たる原因なのは述べるまでも無いのだが、議論の行く末に見出される「新たなる創造」には、決してそれ以前のプライオリティーの高い現象の「破壊活動」は存在しないような疑心にいつも苛まれるからである。
色々なリスクと、その先に発生する予見可能なメリットデメリットと言う乗数を掛け合わせ、見出される数字の羅列を無理やり未来志向な健全な精神に論拠付けしてみても、一般の凡そ過半数は「ことの事象」に二の足を踏まざる終えないのではないのだろうか。
当然、本質的な思考の傾向に依存する個々の判断が大前提ではあるが・・・。
当然、自身の思考は間違いなく一般論的には不正解である。
生み出される物事も雑多であり・・・・つまり「ガサツ」である。
しかし唯一のメリットは、生み出される物事もそのプロセスも想像以上のものであり、携わる者たちの成長もまた然りである。
自己否定の先の焦燥感に恐れをなして、なかなか反省することの無い自身の歩みではあるものの、これからもやはり「自分の向こう側」を研鑽できることを夢見て生きながらえることなのだろうと・・・。
生きとし生ける限られた時間を全力であるために・・・