- 2006-02-08 (水)
- Ordinary Ciel Voiture
一応社内的には休日の今日も、いつもと変わらず・・・の一日のはずであった。
・・・・のはずであった。
これはつまり、すでにその瞬間が「過去」へと移行した瞬間でもある。
そして、ふっと考える。
「普遍のもの」は存在するのだろうか・・・?
「時間」この概念を自身の中で如何様にコントロールするのだろうか・・・?
自身の携わる現在の状況は、どうしても時間に追い掛け回されることの連続である。しかしそんな瞬間にも、ほんの些細なことと想い、やりすごしている時間が、実を言うと取り返しの付かない!そんな時間になっていることが多々ある。
現実的には、それらの大部分を自身に従属させる形で・・・と言うのが理想ではあると思うが・・・。
何気なく振り返れば一番身近にある自身の積み重ねられる時間=年齢。それに加えて、今最も大きなウエイトを占めるグループ全体の事。
・・・時々無性に寂しくなる。それは本当に僅かの瞬間での出来事ではあるが。
瞬間的に取り残された感のあるのは考えすぎなのか・・・・時間に。
よく耳にする「普遍のもの」これが存在するのであればどのような形で、どの瞬間に、そして誰からそれを知らし召させられるのだろうか。
遠い昔から一般的に存在するとされる、全知全能の神。
時に埋もれ世に毒され、気が付けば失ってしまった気がするそのもの自体、こんな瞬間にそれがそうだったのかと気が付かされてしまい、見透かされてしまう。
つまりは、「普遍のも」は存在しないのかのように・・・。
何気ない今日がくれたころ、気づかされ、求めてしまうほんの些細な幸せに少しだけ置いてきぼり的感のある、そして気が付く「きっと変わらないもの」の自分自身。
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Comments:3
- togawa 2006-02-12 (日) 18:16
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普遍のものは時間という概念をすでに消化しています。言うなれば、だから「普遍」ですね。
時間に取り残されるということは、時間を消化してません。
よって、普遍とは違う次元に存在してしまっている故に取り残されていると言えます。
ただし、取り残されて時間が止まってしまっている部分は、皮肉にも時間を消化してますから普遍であります。ただし、その種の普遍に拘泥すると本当に知らなければいけない存在や、未知の普遍への足掛かりを逃してしまいます。そう、普遍は無限大に広がる宇宙に幾重にも折り重なって存在しているので、到底われわれ人間なんぞには、蓄えたり、消化し切れるものではないのです。普遍を垣間見るわれわれ人間は普遍ではないからです。実存は概念を超えられません。 - togawa 2006-02-12 (日) 18:16
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大切なのは寂しいという感性です。これは普遍です。そのテーマに如何に対峙していくか、というところに、生きるすばらしさがあります。
そう僕は考えます。
商売と同じかな?(失敬)
- CEO by 彷徨える凡人 2006-02-12 (日) 18:17
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常に全力で消化しているはずの「時間」に対し、少しだけ振り返りたくなるその「時間」が、どうにも成らないと理解できればできるほど、そこに、どうにも成らない葛藤が生まれます。
仮に、消化しきれないものの多くがそうであれば、やはり、自身の中の「普遍」のものは「普遍」ではなく偽善的に近い「後悔」の念なのでしょうか・・・。