- 2005-08-04 (木)
- Column
哲学的思想の根底に滞留する潜在意識の概念を探究してみる。
問い掛け続け・・・自問自答し続ける毎日の中で、常日頃付きまとう自身の人生観は楽観主義者的表層とそれを否定しようとする深層と・・・よくよくこんな自身に飽きが来ないものだと人類創造の主へ感謝の言葉もない。
帰りしなの自動車の中で、突然意識を奪われる思想は、若年期から現在に至るまでの成否の見当もつかない人生観そのものばかりである。
恐らく、人並みに人を愛することに自身の命を懸けてみたいと願ったり、世の中をあえて理不尽さの塊であるかのような天敵と表し反抗してみたり、何が愉快だったのかすら記憶にないくらいの友人と過ごした馬鹿な徘徊の日々・・・言葉にしてみれば所謂「一般的な」成長の過程である。それでも人とは違うことを・・・自身だけは特別なんだと言う自己満足的思想を抱き・・・そんな想いさえも、今では其の一端なのだろう・・・。
時は現在に戻り・・・この今現在でさえも、一般的思想概念のひとつに過ぎないのだろうかと何気に節目がちに考えさせられてしまう。
昔・・・、よく口ずさむメロディーに涙したり、走り去る街の殺伐とした景色の一瞬に心奪われて見たり・・・、めったに見上げることのない満天の星空に感動してみたり・・・、目の前を通り過ぎる無愛想な野良犬の同じ高さの目線が気になってみたり・・・、そう、すべてが純粋さ故のな行動なのか、はたまた日常の罪の意識が意図するものなのか、ふいに何かに対して優しくなれたり・・・つまりは、真実と偽りの境界線を捜し求めて右往左往の連続である。
・・・出来ることなら何事に対してもいつでも堂々と真っ直ぐでありたいと言うこの想いもまた、それ自体が偽られ捻じ曲げられた想いであるのかもしれない。
恒常的に感じるこの想いは、いつになれば報われる日が来るのだろうか・・・まだまだ苦悩し続ける今日この頃である。