- 2005-02-22 (火)
- Column
所謂、固定給に依存する事によって、自身の生活の糧を得ていた時からドロップアウトして数年が経とうとする。
今でもその心境に大差ないのだが、・・・ギリギリである。それが何かといえば、やはり、この資本経済の中で生き抜くために必要な道具へ対してである。恐れ多くも手に入れた自身のこの自由な経済活動とフォーカスすべき道の選択の連続に、当然何の迷いがあるわけでは無い。しかし、その反面究極の責務と選択を日々繰り返していかなければならない。決して大げさに表現しているものではなく、正確な実感である。特にそれは、弊社社員へ対してのことが身近であるのだが、自身の理想や夢や経験則の押し付けが彼らの人生へ多くの部分で左右してしまうことの怖さを十分に知っているが故にそう感じてしまうのだろう。
出来ることなら、光り輝き何のストレスも無い世界を・・・、そんな舞台の上で色々な仕事をしてもらいたい・・・、それが何よりもの理想である。
しかし成長の過程にある我が社において、必要十分なスペースの舞台を準備しきれないのも事実であり、恐らくストレスの連続であろう。
それでもあえて裏方である自身があえて彼らの前に立ちはだかる必要があるのならば、それもまた、現実であろう。
決して理想郷ではない我が社が、実を言うと、その多くの部分を形成するに当り、彼ら自身の、彼らの理想郷である筈というプロセスこそが、この会社の成長の一部ではないのだろうか。
やりきれないぐらいの極度の緊張と責任に、ふっと捜し求めた理想郷が目の前に現れることを又自身も願い、淡々と流れる時間の時空の中で今日もその時を楽しんでいる・・・。