- 2005-02-22 (火)
- Ordinary Ciel Voiture
その瞬間の電話の向こうの表情は、心理的ストレスと、ご主人様のために働くべき自動車が、意のままに動いてくれない歯がゆさとの焦りに、相当参ってらっしゃるのを感じるのに十分な声であった。しかし私には、分身の術なる技を持ち合わせておらず1時間弱の時間を、なんとかやり過ごしてもらうようお願いする。
24時00分ジャスト、再びの入電。為す術も無くやり過ごす1時間半は、1秒を3600回以上も正確に、かつ指折り数えさせるようなもので、下手な苦業以上の辛さであろう。
もう既に、会社まで数分の場所・・。今から向かえばこの時間帯、10分弱で現着可能である。
開口一番、自身の現在地を伝え、それほどやり過ごす必要の無い距離に自身が位置することを伝える。
「・・・・・・・ガス欠でした。」
「・・・・・・・大丈夫ですか?!!。」
「・・・・・・ガソリンが入ってなかったみたいです・・・。」
「・・・・・・・・・・・・何事も無くてよかったですね!」
「すみません早とちりしてしまいまして・・・。」
「いえいえ、良かったです。てっきり待ちくたびれられたのかと逆に心配してしまいました。」
「とんでもないです。」
「・・・・・・・。」
「まぁ、いずれにせよ又何か気づかれることがありましたらご連絡下さい。」
「有難う御座います。」
・・・・初めの入電より急激に引き上げた自身のテンションのせいか、不思議なくらい爽快である。
ふっと振り返ると自身の過ごした時間に、「計画」という名の方程式が存在しないことに気がつき、それでも生きながらえた自身の32年間に、「突発性」
の出来事こそが自身のエネルギーの一部なのだろうかと、突然冷え込みを感じ出した体にギュッとコートの襟元を閉め、無事に過ごせた32年間と9ヶ月ちょっとを神に感謝してみた・・・。
躊躇うことなく生きていくことの、作用、反作用に翻弄され、それでもなんとか一生懸命になれる自身の能力に、まだ人のために生きていけることを感じた、そんな寒い日の夜でした。