- 2004-12-24 (金)
- Ordinary Ciel Voiture
早朝より降り出した雨が、例年だと雪に変わるのだろうが、先だって記したこの世界の悲鳴の中では、それが雪に変わることすら感じられない。年齢を重ねることに、それに対する世界観は変わっていき、自分自身の中に在る「幼心の自分」にラップし少しだけ刹那的になる。
それでも進んでいく時計の針が自分自身を現在へと引き戻す。
イタリアの車の歴史を紐解いていく上で、避けて通れない名門の家がある。そう、ヴィスコンティー家である。幾多数多の人々がこの名家の紋章に終わることのない伝統を感じ、永遠の繁栄を自然に感じたはずである。
しかし約1世紀にも及ぶ経済の淘汰を繰り返し又新しい歴史をスタートさせたレーシングカーメーカー?ですらその流れにひとくくりにされてしまった。
そういえばこんな話を何かの著書で読んだことがある。
「アメリカはヨーロッパに永遠に嫉妬し続ける」
其の事には色々な意味があるったきがするが・・・、例えば、ファミリーレースの事であったり、伝統文化であったり、少し誤解を招く表現になるかも知れないが、自分たちがどこから来たのかという起源説的な事であったり・・・、しかし本質的には、彼らが歴史を持つことが出来ないと言う事ではないだろうか。それは、裏を返せば未来は創造できても、過去は過ぎ去った事実の記述のみしかなくそれを精査することはあっても決して創造は出来ないものであるからだろう。それでもこの日はきっと特別で多くの人たちが何らかの形でこの日を特別に感じていることだろう
そんな私の今日の彼女は、あのヴィスコーンティー家の愛娘である。少し手を焼くこともありなかなか素直ではない彼女では有るが、私自身好きな方かもしれない。今日は夜明けまで彼女のそばに居るのだろうな・・・。
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