- 2004-12-31 (金)
- Column
では、何が正解か。それはきっと、それぞれのプロセスを経て振り出された結果がそれなのだと思う。
私の共感する言葉に「汝、隣人を愛するなかれ」と言うキリストの言葉がある。私なりの解釈ではあるが、本当に自分を愛してくれる人は、表面的な愛情を表現しないものだと思う。それには当然、驕りにも似た考えもあるが、きっと、それを表現できない事へ対し苦悩するその姿こそがその人へ対する最大限の”愛”であり、その苦悩こそがその人を愛する何よりの”証”ではないだろうかと思う。
自虐的なほど理論的に考えれば考えるほどそれが真実なのだろうかと又深く考えてしまう。
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Comments:1
- Yko 2004-12-31 (金) 00:57
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私なりの解釈は、優しさも愛だけど、怒りも時に愛なんだと思います。どちらも相手に対して、最大に関心があった上での心の動きだから…。ただベクトルの向きが随分違いますが。ちなみに、私は「相手がして欲しいと望む事を、ただひたすら混じり気のない心で行うこと。」かな?時に人はエゴイズムが先行して、優しさの押し売りをしてしまいがちです。日常の事件は、そんなエゴやともすれば高慢になりがちな自分の心を、改めさせてくれます。やっぱり人と触れ合い、学ぶことが大切です。すごく当たり前のことを書いてしまいましたが、簡単な事がなかなか難しいと感じます。さぁ、後残り1日。また来年も素敵な年になりますように?♪自戒も込めて…。